能登半島地震で家屋が軒並み倒壊し、市内外への避難を余儀なくされた港町を、「にじいろ薬局&ストア」(石川県輪島市)の明かりが照らしている。能登半島地震から5カ月が経過する今でも、市内外への避難などで来局者は半減し、経営は苦しい状況だ。だが、「どこかが営業していないと、本当に誰も戻ってこられなくなる」。代表取締役の岩﨑富和氏は、地元が日常を取り戻すためには、自分の店が営業を続けることが欠かせないと考えている。
大規模な火災に見舞われた輪島朝市から、川を挟んで対岸にある輪島港。この港町で岩﨑氏は育った。関東の大学薬学部に進学し、北海道などの薬局で薬剤師として勤務していても、毎年欠かさずお盆明けの「輪島大祭」に合わせて帰省していた。「いつかは地元で薬局を」。2012年に実家の隣に「にじいろ薬局&ストア」を建てた。
そのため、来店する人のほとんどは、古くからの顔見知りだった。処方箋の受け付けだけでなく、目指したのは、食品や調味料、雑貨も扱う「地域のコンビニ」。ドラッグストアやスーパーマーケットに車を運転して行けないお年寄りでも、徒歩圏内にあるこの店で欲しいものが手に入るような品ぞろえにした。棚には、ろうそくや線香、大人向けおむつなども並ぶ。
●処方箋「半分も戻ってきていない」
1月1日、震災時は妻の実家の北海道にいた。海際の実家や店舗が津波の被害に遭っていないか、現地に設置されていたライブカメラで見守った。夜、停電で真っ暗になった輪島市街地は、朝市の火事だけが光っていた。翌2日には石川県内に移動したものの、道路状況が悪く、実家と店舗にたどり着いたのは3日朝だった。
店内は物が散乱していたが、建物自体は比較的無事だった。ただ、停電と断水により、営業を再開できたのは2月に入ってからだ。この月に応需した処方箋枚数は通常の6分の1程度。住んでいる建物が全壊するなど、住民が市内の避難所や市外の金沢市などに避難している影響とみられる。
4月時点でも「処方箋は半分も戻ってきていない」。処方箋の2~3割を占めていた近くの診療所は震災後、閉院したまま。岩﨑氏は「若い世代は都市部に移住し、近くに住んでいたお年寄りもこのまま別の地域の施設に入居していくかもしれない」と不安を口にする。
●明かりがある安心感、絶やさないように
5月中旬、被害を受けた多くの家屋は発災当時のままで残されていた。住み続けられる家屋は数える程度しかなく、多くは取り壊しを待っている状況という。家に戻れないため、避難を続けている人も多い。また輪島港も閉鎖されているため、人通りはぐっと減った。「将来を考えてもマイナスな面しか見えてこない」。今夏の輪島大祭の開催も危ぶまれている。
一方、店舗の目の前にある輪島港周辺では仮設住宅の建設が進んでいる。この地域だけで67世帯が入居できる規模で、6月中旬には完成する予定だ。ただ、一度この地域を離れた住民が戻ってくるかは見通せない。
それでもここで営業を続けるのは、「真っ暗の夜道でも、明るい自動販売機が見えるだけで少しほっとする。そんな役割をこの店舗が果たせたら」という思いからだ。避難した人が住み慣れた土地に戻るための安心感につながるよう、岩﨑氏は薬局という「灯」を絶やさないようにしている。(折口 慎一郎)