能登半島地震では、被害の大きかった能登北部などの医療機関の処方箋を暫定的に金沢市の薬局が一括応需し、処方薬を届ける仕組みが稼働した。応需する薬局が限定されたことで反発を招いたが、東日本大震災でも同じような取り組みが行われている。岩手県薬剤師会の畑澤博巳会長は、「その時点で最良の選択肢を取るしかない」と語る。
石川県は今回の地震直後、多くの薬局が被災した能登北部・中部の公立6病院の処方箋について、金沢市内の薬局で一括応需し、医薬品卸が各病院へ配送するスキームを構築した。
あくまで暫定的な措置だったが、応需する薬局が1店舗だけだったため、石川県薬は特定の薬局への誘導を禁じた療養担当規則に「抵触する可能性がある」などと見直しを求めた。
岩手県薬によると、2011年の東日本大震災でも陸前高田市の薬局が全滅したため、同市の救護所の処方箋を緊急的に隣の大船渡市の薬局1店舗が応需した。
その後、県薬も介在し、同市から約120キロ離れた盛岡市の盛岡赤十字病院を通じ、周囲の3薬局が救護所の処方箋を応需する仕組みが整った。盛岡日赤と陸前高田市の救護所との間には毎日、往復するバスが運行しており、そのバスで処方箋と処方薬を運んだ。
岩手県薬の畑澤会長は、「当時は何をすれば正解なのか分からない。その時点で考えられる最良の選択肢を取るしかなかった」と振り返る。今回の能登半島地震で、暫定的に金沢市内の1薬局が応需することになったことに対しても、「緊急性を最優先に判断したのかもしれない」と推測する。
●ボランティアの割り振り巡ってトラブルも
東日本大震災では、処方箋の取り扱いに関するトラブルはなかったが、大船渡市にボランティアに入った薬剤師から不満を訴えられることがあった。その薬剤師は避難所での救護活動を担うことを想定していたものの、人手が足りない薬局での調剤支援を割り振られたためだという。
畑澤会長は「災害時には想定していなかったようなトラブルがいろいろと起きる」と、被災地への医薬品供給を死守しなければならない県薬としての対応の難しさを指摘する。「石川県薬はマンパワーが限られる中、能登半島地震で精いっぱいの対応をされたと思う」とおもんぱかった。