能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市。災害拠点病院の市立輪島病院で実務実習を続けているのが北陸大薬学部(金沢市)5年の端谷大輝さん(23)だ。自身の実家も被災し、同院には避難所から通う。実習で目の当たりにしたのは、搬送患者で外来ロビーが埋め尽くされる野戦病院のような光景だった。
「普段は見られない、命に危険のある患者さんが大勢運ばれており、緊迫した状況下で一包化調剤や輸液の運搬などを行った」
「震災の被害に対する緊急時の医療対応やDMAT(災害派遣医療チーム)の緊迫した様子を学習できた」
実習期間中、端谷さんが反省点や改善点を大学教員に伝えるメモには1月以降、こうした記載が並ぶ。
1日の地震発生後、実習生として初めて病院に顔を出したのが5日。災害医療で一刻を争う緊迫した院内環境の中、「行っていいでしょうか」と指導薬剤師に尋ねた。了承を得て“出勤”すると、包帯を巻かれた重症患者らが次々に搬送され、外来のロビーがすぐにいっぱいになった。
これまで見たことがない災害時の光景。流通の混乱などで薬は不足し、患者の服用薬に関する情報もない。検査機器の故障で十分なデータも取れず、断水で水もない。「ないもの尽くし」の中、先輩薬剤師は患者が普段通院する医療機関に連絡し、情報収集に努めていた。
端谷さんが実感したのは「災害時は通常の医療ができない」こと。患者情報や医療資源が限られる中、臨機応変に対応できる能力や、チーム医療の重要性を再認識したという。
●「洗濯機の中にいるような感覚」
輪島市出身の端谷さんの実家は同院から車で10分ほどの所にあり、高校卒業までそこで暮らした。大学進学後は金沢市内のアパートで1人暮らしをしているが、同院での実務実習が始まった昨年11月からは実家暮らし。地震が起きたあの日も実家でくつろいでいた。
「突然、ぐるぐる回るような激しい揺れに襲われた。まるで洗濯機の中にいるような感覚だった」。家族にけがはなかったが、2階建て家屋の屋根瓦は落ち、壁にはひびが入った。それからしばらくは実家で寝泊まりしたが、降雪と雨漏りに悩まされ、両親と近くの避難所に移った。
平日は避難所に身を寄せ、同院と往復。土日は車で片道4~5時間をかけ、両親を連れて金沢市内のアパートで過ごす。食料を調達したり、自身の持病の療養に充てたりしている。輪島市内はなおも断水が続き、避難所では不便な生活を強いられている。
●負傷患者の模擬処方解析も
11週間にわたる実務実習は残り2週間を切り、終盤に入ってきた。地震で負傷し、壊死した皮膚組織から細菌感染した実際の患者の症例を基に、薬物治療の妥当性を評価する模擬処方解析など、災害医療ならではの課題に取り組む。
指導薬剤師の村田航一・薬剤師長は「なかなかこういう機会はないと思う。ぜひこのまま病院に来てもらい、DMATの一員として活躍してほしい」と期待する。
同院で一部再開した外来には、地震の再来を恐れ、副作用で眠くなりにくい薬を求める患者もいる。「災害時には有効性や安全性だけではなく、生活背景や心情に配慮した処方設計が大事だと分かった」と端谷さん。「被災者に寄り添える薬剤師を目指したい」と心に誓う。(編集委員・笹井貴光)